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未分類 2019.09.30 (月)

追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」
「生きていても、意味がないから」

週刊現代講談社

まずは、先日亡くなった「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)のご冥福を心からお祈りしたい。

我々は8月末日、「かつて一斉を風靡した人びとに、近況を尋ねに行く」という趣旨の取材で佐藤さんのもとを訪れていた。佐藤さんは快く応じてくれたが、かつてから変わり果てた生き様には、「人生とはいったいなんだろうか」と、深く考えさせられるものがあった。追悼の思いを込めて、その日のことを振り返る。

取材・文 齋藤剛(『週刊現代』記者)
その前

時代の寵児を探し求めて

「最近、金ピカ先生見ないね」「何年か前に選挙出ていたけど、いまなにをしているんだろう」きっかけは、そんな会話だった。

いまやタレント予備校講師といえば、「いつやるの? いまでしょ」のフレーズでブレイクした林修先生(54歳)の印象が強い。だが一定以上の世代からすると、真っ先に思いつくのは、やはり「金ピカ先生」だろう。

派手なスーツに18金の腕時計や、ネックレスというまるでヤクザのような出で立ち。教室に愛用の日本刀を持ち込むパフォーマンスは、いまの時代なら問題視されたに違いない。


しかし、強面なイメージとは裏腹に緻密で論理的な英語指導もあいまって、予備校文化全盛の1980年代当時は絶大な人気を得た。テレビにもひっぱりだこで、Vシネマでの役者デビューに加え、秋元康氏のプロデュースでCDまで発売。佐藤さんは、まさに時代の寵児だった。

2009年には「金ピカ先生」の届出名で鹿児島県西之表市の市長選に突然出馬して話題を呼んだものの、落選。以来、めっきり姿を見かけなくなっていた。

日本の予備校文化隆盛の立役者の一人である先生に、当時の思い出話と近況を聞きたい――。そういう思いから、残暑が続く8月下旬の午後、都内にある自宅を訪れた。
 
駅周辺の再開発が進むエリアにポツンと残る、2階建ての古びた一軒家。表札はあるが、インターホンは故障しており、誰かが住んでいる気配はまったく感じられない。だが、2階にふと目をやると、窓が開いている部屋があった。

近隣に住む20代の女性が言う。

「おじいちゃんが一人でひっそり暮らしていますよ。えぇ~、あの人、テレビで活躍した有名な人だったんですか。全然そうは見えませんけど……」

佐藤さんがテレビにでずっぱりだった時代から、もう30年近い時が流れている。女性の反応はもっともだ。しばらく自宅前で待っていると、記者に気づいた佐藤さんが「中にどうぞ」と中へ招き入れてくれた。

真っ暗な家の中で一人きり

かつての金ピカ先生は、低く、心地よく響く声音の持ち主だったが、いまは随分とか細い。

「『一斉を風靡した人のいまを追う』という企画なのですが、取材をさせてもらえませんか」

「取材はぜんぜん構わないけど、謝礼は受け取れないんだ」 

ボソボソとこう切り出した佐藤さんは、なぜか上裸だった。全盛期はポッチャリ体型とつぶらな瞳でなんとも言えない愛嬌があったが、いまはまるで別人のように痩せこけ、目もうつろ。「金ピカ」ぶりは、すっかり鳴りをひそめていた。

金ぴか


8月末日、自宅で取材に応じてくれた「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん

1980年代、佐藤さんの最盛期の講義料は90分で200万。年間2億円以上の収入があった。だが、数千万円するクラシックカーを次々購入するなどの浪費がたたり、気づけば一文無しになっていた。電気も止められ、家の中は真っ暗だった。

「電気代もガス代も払えなくてね。今年の5月から生活保護を受けていて、来週、保護費の7万8000円が入ってきたらそこから光熱費を払います。謝礼をもらうと保護を止められちゃうから……」

「(服は)着ない」という佐藤さんは、近くにあった椅子に腰を下ろすと、おもむろにタバコに火をつける。灰がポロポロと床に落ちるが、まったく気にする素振りはない。室内は思いのほか整理されているが、ところどころに吸殻や灰が落ち、黒くくすんでいる。

しばらく無言のままタバコを吸っていたが、「ついて来ていいよ」と言うと、階段に向かった。まだ68歳だったにもかかわらず、歩くのもやっとの様子だった。

壁に手をつき、一段一段ゆっくりと上がっていく。ようやく寝室にたどり着くと、ベッドに腰掛けた。枕元にあるのは近所のセブン-イレブンで売られているワンカップの焼酎と、吸殻で埋め尽くされた灰皿。近くには日本刀のカタログも置かれていた。ベッドはタバコの火種を落としてできた焦げ穴だらけだった。

「いま口にするのは焼酎とタバコくらい。アルコール度数が20度の焼酎が好みで朝も夜もこれを飲んでいます。タバコはケントの1ミリ。食事? ほとんど食べません」

話している途中で思い出したように枕元の焼酎を手に取り、あおり始める。しかし、なかなか喉を通らない。なんとか飲み込んだが、ゴホゴホと咳き込むとベッドの上でもだえてしまう。心配になり、「飲まないほうがいいのでは」と声をかけるものの、「大丈夫、大丈夫だから」と聞く耳を持ってくれない。

我々は、佐藤さんにカリスマ講師だった日々の思い出話を聞こうと思っていた。佐藤さんはゆっくりと考えながら、ぽつりぽつりと語ってくれたが、漏れてくるのは人生に対する諦めの言葉ばかりだった。

「楽しかった思い出? う~ん、いい時代でしたよ。でも振り返っても、仕方ないですからね。(いまの自分は)生きる屍。やりたいこともなければ、なにもしたくないんだ。林さん? 面識はまったくない。テレビは見れないし、とにかくもう世の中への関心がないんだ」

「早く死ねたらいいのに……」

なぜ、これほどまでに荒んだ生活を送るようになったのか。きっかけは、長年連れ添った妻からの三行半だった。

中年に差しかかったころ、脳梗塞や心筋梗塞と立て続けに病気を患った佐藤さんを、妻は献身的に支えていた。だが、収入が激減しても変わらぬ佐藤さんの放蕩ぶりについに愛想を尽かし、ある日突然出ていったという。2年半ほど前のことだ。

しょっちゅう喧嘩をしていたが、いなくなってみて、初めてそのありがたみがわかる。2018年の夏に『スポーツ報知』の取材を受けたときにはまだ、独りで過ごす日々を「バラ色の余生」と語る余裕が残っていた。

だが、誰もいない部屋で、タバコをくゆらしながらぼんやりと過ごす毎日に、佐藤さんの胸には喪失感ばかりが募っていった。気づけば自暴自棄になり、耐え難い心の痛みを少しでも紛らわそうと、朝から晩まで酒をあおり続けた。身体は、とっくに限界を迎えていた。

「もう、身体中が痛くて痛くてたまらない。全体的に弱っていて、最近は一日中ベッドで寝ているんです。でも、デイケアセンターの人が週に2回来て面倒を見てくれる。今朝も来て、片付けをしてくれました」

ぽつりぽつりと、問わず語りは続いた。身体を走る痛みに、ときおり表情を歪めるのが気の毒だった。

「子供もいないしね、本当に思い残すことはないんだ。早く死ねたらいいのに……」

佐藤さんは、人生に対する希望をすっかり失っていた。無理もない。世間の注目を集めた時代は遠い昔に過ぎ去り、自らの放蕩で財産もみんな失った。何より、長年連れ添った妻はもういない。残されたのは、心身の耐え難い苦痛だけ。幾度となく漏らした「早く死にたい」という言葉は、佐藤さんの紛れもない本心だった。

取材の最後に「先生が大切にしているものはなんですか」と尋ねた。

「人生最後の愛車であるティファニークラシックですね。あと、やっぱり刀は好きです。ここにはないけど、別の部屋に飾ってあります」 

そう言うと、佐藤さんは少しはにかんだように微笑んだ。これが、この日に見せた唯一の笑顔だった。

取材を終えて玄関に向かう途中、一階の居間らしき部屋の前を通ると、著名人とのツーショットや、妻との記念写真が額に入れてたくさん飾られていることに気がついた。だが、その部屋の入口には荷物がうず高く積まれていて、長らく足を踏み入れていないようだった。

「過去は振り返らず、ただ死を待つだけ」

聞いたばかりの佐藤さんの言葉が、頭をよぎった。
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